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強豪、中国からの招待選手の背中をみて強烈に思ったこと。1995年 アトランタ五輪選考会
選考会を「失格」「優勝」で迎え
最後の選考会、1996年全日本競歩輪島大会
いよいよ、五輪に向けた最後の戦いです。
忘備録的に書くと
前日はとにかく表彰されました。
年度初め(4月開催)だったので前年度の結果に対する表彰です。
前年度は20㎞・5㎞で日本記録を出していたので
2-3度ステージに上がり日本記録賞の授与を受けました。
そして、当日。
中国からの招待選手が一番の優勝候補、持ちタイムが良かったです。
レースは当然、中国選手が中心に試合が展開されます。
必死に食らいつく日本人選手2名という構図
2㎞の周回コース、後半になり中国選手は満を持してスパートを
ラスト5㎞でかけてきました。
そこで着いていくか?離れるか?
選考会で優勝してるライバル選手はジワリっと離され始めます。
ですが、状況は私にとってはとても不利でした
それは「警告カードがすでに2枚」ついていた。ということ。
当時のルールは、警告カード3枚で失格。
中国選手に無理についてさらにフォームを崩せば、3枚目の警告カードが出て
「失格」になります。
最終選考会での失格は、五輪出場は不可能、ということがほぼ確定する
ということです。
私も中国選手から遅れて、日本人最先着でゴールを目指せば、優勝は中国選手に譲ったとしても
五輪の可能性は残る。
離れて五輪選考争いをするか、優勝争いをするか、の判断を迫られていました。
そのとき見つめていた、中国選手の背中は今でも何となく覚えています。
その背中を見つめながら、強烈に思ったのは
「国内で海外の選手に負けて、何が五輪だ!」
つづく