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五輪選考会で痛恨の失格から。1995年 アトランタ五輪選考会
1995年10月 五輪選考会で失格してしまい
五輪出場への後がなくなりました。
この頃のことで良く覚えているのは
「オリンピック出れる?」
っと聞かれたときに
「当然出れます!」
っと答えていました。
選考会で失格したのに(苦笑)
そう返事をしていた理由は、
失格して後がなくなった自分を奮い立たせたかった、以外のなにものでも無かったです。
「自分で自分を信じなくて、誰が五輪に出れるという事を信じてくれるんだ!」
っと鞭打つ感じです。
そして、1996年1月日本選手権が神戸で開催されます
なんとか1時間22分02秒で優勝。
首の皮一枚、つながった。これが正直な感想でした。
これで、ライバルとは1勝1敗のイーブンになりました。
ただ、1敗の私の負け方は良くなった。
なにせ「失格」なので。
ライバルは「優勝」「2位」・私は「失格」「優勝」
どうしても印象として選ぶ側もイーブンとは思わないでしょう。
そうなると、最終選考会では最低ラインとして「優勝」
そして、「勝ち方」や「記録」も求められる。
首の皮はつながったけど、まだまだ自分が不利な状況にあり
決してライバルとイーブンではない、という気持ちは
日々の焦燥感を強くさせていきました。
つづく