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ウォーキングブログ
五輪へと気持ちを向かわせたこと。1995年 アトランタ五輪選考会
大会が中止になったり、延期になったり
せっかく日々練習しているのに、なかなか発揮する場所がない
ウォーカーや競歩選手、マスターズ陸上を狙いたい方、などなど
多いと思います。
そんな皆さんに向けて、いろいろと書きたいと思っています。
今から26年前、1995年の春、皆さんは何をしていましたか?
私は1996年に開催されるアトランタ五輪に向けて最終選考会に向けて
日々練習をしていました。
正直、「五輪」というものにあまり執着心は無かったです。
なんだか他人ごとに想えて。。。
純粋に、練習をして試合に出て「勝つ」という
このルーティーンが楽しくて楽しくて
その結果として、五輪が見えてきた、っというのが正直な感想です。
1995年のアトランタ五輪選考会の年は
絶好調の年で、20㎞競歩・5000m競歩と2種目で
日本記録も出し、出場する大会はほぼ優勝していました。
当然、周囲の私への五輪への期待は高まり始めます。
自然と自分自身の気持ちが五輪へと向かい始めました。
周囲の高まりもありましたが、もう一つ五輪へと気持ちを向かわせたのは
「コーチ」の存在でした。
日本がボイコットした1980年モスクワ五輪。
もし、日本が出場していたであろうなら、当時の選手だった私のコーチは
五輪代表として出場する可能性が高かった選手でした。
だからこそ、16年の時を経て「五輪出場への想い」を
受け継ぎたい、っと思ったことが気持ちを五輪に向かわせました。
1995年、国内で開催される3つの選考会の結果で
総合的に五輪代表が決まる、という認識です。
もちろん、3つ勝って参加標準記録を切れば文句なしの代表です。
最初の選考対象となる試合は、1995年10月全日本競歩高畠大会
この大会で、こともあろうに痛恨の失格をしてしまいます。。。
続く。。。