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日本柔道の美学
柔道の選手が銅メダルで、謝罪をすることに
違和感を感じる人が多いようです。
一般論でいえば、まず代表になることすら大変なのに
メダルを獲得したのに謝るなんて、ということになるのでしょう
ハッキリ言って昔より、メダルを獲得するのは難しくなってきています。
それは、参加国数が増え、スポーツがサイエンスが発達し
どの国もスポーツの強化に対して、大きな差が生まれにくく
なってきており、僅かの差がメダルを分ける時代になってきました。
圧倒的に強い、ということが生まれにくいのです。
柔道は日本では国技ですが、柔道人口自体は
フランス・ドイツに次いで3位と言われています。
競技人口が多くなれば、競争原理が働いて、競技レベルがあがり
フランスやドイツの方が柔道大国といえるのでしょう。
おそらく、日本がもし昔ほどメダルを獲れるほどではない
という論調を唱える人は、この辺が根拠になっています。
しかし、柔道は日本では国技です。
その柔道家のプライド「五輪代表=金メダル」は
日本柔道の美学だと感じてしまいます。
それを背負って代表になり、金メダルを目指す姿に
純粋に感動を覚え、銅メダルを獲得して悔しそうにしている
姿をみて、感動を覚えます。
志が高いからこそ、メダルでも悔しがる
その悔しさに共感し、私は素直に感動をします。
メダルを獲ってうれしい、ということも共感し感動できますが
選手の悔しさに共感し、その悔しさに感動できる。
そんな、五輪種目は柔道以外にありません。
「頑張った」=「良かった」で終わらない柔道の美学
メダルを獲った獲らなかったとかではない、
その美学を背負って、畳の上に立つ、日本の柔道五輪代表選手すべてに
敬意を表したいと思います。